Memorandum 南相馬市「警戒区域」から「避難指示解除準備区域」 備忘録
2011年4月21日
福島第一原子力発電所の事故に伴い半径20km圏内を「警戒区域」とし、地域への原則立入禁止、および該当地域からの退去が命じられた。
数箇所の検問所を除き、生活道路、農道も含め全ての道路は封鎖された。
それぞれの集落、生活圏は分断された。(撮影2011年7月17日)
ほぼ一年が経過した。
何かが変わったのか 或いは変わらないのか。
時間が過ぎたのか止まったのか
(撮影2011年3月31日)
2012年4月16日
「警戒区域」の「見直し」が行われた。
警戒区域は3つに分けられた。
「避難指示解除準備区域」
「居住制限区域」
「帰宅困難区域」
南相馬市の旧警戒区域の大部分は
「避難指示解除準備区域」となった。
立入は原則自由になったが、立入が許されているのは従来検問所の置かれた三箇所の主要道のみで
その他の道路の封鎖は継続されている。
しかしインフラは未整備、区域内での宿泊禁止、ゴミなどの持ち出し不可など様々な制限が続いている。
5月4日 原町区の鶴谷から「避難指示解除準備区域」に入った。
徒歩で高地区まで歩いた。
バリケードの反対側に立ってみた。
あっけなかった。
余りにも。
付記
小高もそうだったが、意外に道路は荒れてはいなかった。
草茫々と想像していたが、ゴミ一つ落ちていなかった。
却ってそれが不気味だった。
或いは解除前に道路清掃を行ったのだろうか。
津波被害がなかった地区では、地震によると見られる建物の被害はそれほど目立たなかった。
小高市街地の地震により倒壊した家屋、店舗の写真が紹介される事が多い。
確かにフォトジェニックなイメージではあるが
一方で大部分の家屋は健全のように見えた。
おそらく一年以上に及んだ立入禁止が家屋、家財に与えた被害の方がはるかに大きいだろう。
常磐線に関しては薬師堂踏切の先で一部路盤が波打ってレールが浮いた部分もあるようだが
その程度は比較的軽微で原町から小高までは早期に再開が可能に見えた。
あくまでもその需要があればの話だが、公共交通の復旧は鶏と卵の関係でもあるだろう。