20111225 誰もがそれぞれの形で当事者であると同時に、それ以外については他者でしか
賑わう雷門を避け、伝法院通りから浅草駅脇のマッチアンドカンパニーの倉庫へ。
こんな場所にあったのか、知らなかった。倉庫に使うにはもったいない空間。
次に寿町のGingritch。何だか知らないうちに近所に色々出来ていた。途中で新たなケーキ屋発見。
Gingritchから大江戸線で清澄白河。TapGalleryにて「f」。
蒼穹舎での展示とは一転、巨大な壁面いっぱいのプリント。会期が短いのがもったいない。
東北ボラ報告会終了後の深川いっぷくを見て銀座のPOLAミュージアムへ。
銀座は歳末、クリスマス。上野で眼鏡の予備を作り、ケーキを買って帰宅。
今日観た展示は形は異なれど震災とそれに続く事故との関わりで生まれたものだ。
ふと 思った。
被災地を撮ることについて、少なからぬ言葉が交わされたけれど
うかつにモラルと絡めて語るべきではないだろう。
そして安易に「当事者性」を持ち出すことの危険。
誰もがそれぞれの形で当事者であると同時に、
それ以外については他者でしかあり得ないのだから。
当たり前の事だけれど。