結果的に「凡庸」である事 或いはあえて「凡庸」である事を選び取る事

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午後 腰の具合が少し良くなった。日も差してきたので都写美へ畠山直哉展に出かける。
どちらかと言えば畠山さんの被災地の写真を見るのが目的だった。

このブログでも少し触れたけれど被災地を撮った「写真作品」に何かもどかしい思いがあった。

そうした所、FBやTwitterでタカザワケンジさんが被災地を撮った「写真家」の写真に対する違和感を表明されていた。
タカザワさんの感想自体はあくまで字数制限のあるTwitterFacebookでの書き込みと言う事もあり、未整理であったし受け取られ方もさまざまだったように思う。
その中でタカザワさんは都写美での畠山さんの展示について、或いは展示を見た方の手放しの賞賛について疑問を呈していた。
私自身は畠山氏の震災に関する写真はアサヒカメラに載った数ページしか見ていなかった。そんな訳で観に行った。


都写美二階の展示スペースの中央に壁で囲むようなスペースにそれらの写真は提示されている。
通路からは衝立の様に設置された壁面とその前に置かれたソファー。
入るとまず奥の三つの壁面に隙間なく展示された小さめのプリント群に視線が行く。
そして入ってから振り返ると衝立の壁面には額の形をした液晶モニターが掛けられている。

振り返った壁面の液晶モニターでは震災以前の陸前高田の写真がスライドショーで流されている.
奥の、入って正面の三面には震災後の陸前高田の額装された写真が隙間なく掛けられている。

モニターに映し出される写真はいわゆる畠山直哉氏の「作品」とは異なった趣で、おそらくこれだけを見せられたら畠山氏の写真とは気づかないだろう。
モニターの比率は3:2だが、祭りの子供などを撮った写真から、三脚でじっくりではなく小型カメラ(マミヤ7?)で撮られたものと思われた。
「作品」としての意図をもって撮られたのか、よりプライベートなものとして撮られたのかは判らない。

淡々とした田舎町の情景が順を追って流される。
人は写っていないけれど、気配のある通り。坂道から見える町並み。
防波堤の前での応援団の練習。霧の立つ川面。山車を引く子供達。水中の大きな魚影。産卵を終えて積み重なった鮭の死骸。
光は穏やかだ。
親密な空気、細部に見え隠れする暗喩、或いは暗喩と見せる細部。
(カタログ未収録の写真複数あり すごく好きな写真何点も)
しかしそう感じるのはその光景がすでに失われている事を事前に了解しているからでもあるかも知れない。

スライドショーと言う、決まった尺と順序をもって示されるイメージ。
そこに示されるのは時間を持った場所、あるいはある場所における時間。
言い換えれば広い意味での「物語」「歴史」。
その点では、対象や形式こそ違えど従来の畠山さんの幾つかのシリーズと通ずるとも言える。

何順かスライドショーを見てから背後の写真群を振り返る。

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モニターの壁面と相対する壁面に隙間なく掛けられた被災した風景。
尺も順序もなく、イメージが塊として、群れとして、提示されている。
一枚一枚は小さい。
個々に写真を見ると、スライドショーに出てきた橋や堤防、水門の破壊された姿も確認できる。
人が写ったのは瓦礫の原を眺める後姿が一枚だけ。
曇り空のフラットな光。
俯瞰ので見渡す瓦礫の原、破壊された建築。水没した家。建物内部から窓を通して見える光景。

アサヒカメラの9月号に畠山氏が書いていた。
「誰かを越えた何者かに」伝えるための「構図や色彩や光線に気を使い」撮られた「明瞭な写真」



さて、そこにあった被災後の写真が「報道写真と同じ」かと言えば、私にはそうは思えなかった。
(報道写真の定義はさておいて)
けれど、そう、顰蹙を買う事を恐れずに言えば
そう、それらはどうしようもなく「凡庸な写真」だと、そう感じた。
あの場所に立てば誰でもそのように撮るしかない、どこか他でも見た写真であると。
いわば「撮らされた」、実直で真っ当で、しかしそれ故 極めて凡庸な写真であると。
(あれらの写真が「畠山直哉展」のあの場所ではなく、独立して展示されたとしたら・・・)
仮にこれらの写真が評価されるなら、それはスライドショーを含めたインスタレーションの一部としてだろう。

それは実は当の畠山氏自身がアサヒカメラ誌上で正に表明していた事でもある。
「いい写真」である事への疑義と言う形で。
そしてその疑義は必ずしも誌上で述べられていたスペクタクルな写真にのみ向けられたのではなく、それを成立させている「近代写真芸術の美学」へ向けられているようだ。

少なくとも畠山氏に限っては、今回の展示は大きな転換点を曲がってしまった、その態度表明のように思えてならない。

それが果たして良き事なのか、判らない。だがそれ以外ないのだろう。


そしてある事態に対した時、やはりそうならざるを得ないのかと云う何とももどかしい思いは未だ続いている。